とあるビストロで・・・

仕事が忙しくて、更新を怠っていましたが、この間も色々とありました。
先日、妻とひぃを連れて、街中のとあるビストロへ入った時のこと。すでに昼の1時を回っていて、店内は観光客の若いカップルなどがまばらにいる程度でしたが、僕たちは4人のマダム達がピザを前にして歓談している席の隣に案内されました。
外国人の店員からメニューを渡されて間も無く、僕の耳に「ダウン症」という言葉がすっと入ってきました。それは、隣に座るマダムの会話の中で発せられたものでした。前を見ると、妻も気づいたのか、意味ありげな視線をこちらに向けて苦笑を浮かべています。
「あそこの子もダウン症みたいよ」「きつい顔で」「○○(某有名芸能人)の娘もそうだって」・・・
なんとか注文は決まったものの、もうほとんど僕らの注意はそちらの会話に奪われてしまいました。ひぃは座席のソファに横になってスヤスヤと寝ていて、たまに隣のマダムも目を向けている様子はあったのですが、どうも気づいてはいないようです。結局、僕たちが何だか居心地の悪いランチを終えるか終えないかくらいで、マダム達は勘定を終えて店を出ていきました。
「この子もダウン症ですが何か?」
−咳払いでもしてそう言ってみたら面白かったかもね、と後で妻と笑いましたが、話してるそばに関係者がいるとは思わないんですかね。

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世界を変える力

ダウン症の赤ちゃんが写真コンテストで優勝したという記事が出ていました。

確かに可愛いですね。「彼らには世界を変える力がある」(individuals with special needs have the potential to change the world)というお母さんの言葉が力強いです。
うちの「ひぃ」も、ルーカスちゃんと同じように、こちらがとろけてしまうような笑顔をいつも見せてくれます。僕らもどこかに応募してみようかと、親馬鹿的な会話をしてしまいました。こういったニュースが溢れることで、世の中のダウン症に対する偏見が少しでも解消されればいいですね。産経新聞でも、金澤翔子さんの記事が連載されています。

先日も、BSドキュメンタリー『ダウン症のない世界?』を見たのですが、やはり子を授かることの幸せは、その子がダウン症であるからといって妨げられるものではない、むしろその幸せを増すものであることを、もっと世間に広めるべきだと痛感しました。そして、私たち家族にはその責務があることも。
このことは、また次回にでも書こうかと思います。

出生前診断

先日、出生前診断の施設が拡大するという記事が流れていました。こういった記事を見るたびに、とても暗い気持ちになります。目の前で笑顔を見せる「ひぃ」の命が、真っ向から否定されているような、そんな感覚に襲われるのです。

「新型出生前検査」拡大へ、施設の認定条件緩和…日産婦方針 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

ドラマ「コウノドリ」でも、この出生前診断をテーマにした回がありました。そこでは、主人公の鴻鳥先生が「検査をした人、産まない決断をした人も、間違っていない」という主旨のことを語っていました。確かに、個人の選択として間違っているということは誰も言えないでしょう。ですが、上の記事の解説でもあるように、「昨年9月までの4年半で5万1139件行われ、陽性と確定した人の97%に当たる654人が人工妊娠中絶を選んだ」というのが現実なのです。結局はほとんどの人が、「命の選別」を行っているのです。出生前診断を選択した人は、「ダウン症の子はこの世にいない方が良い」と潜在的に思っていることを表明しているのと変わりはない、と言ったら言い過ぎでしょうか。一体、何のためにこの検査があるのか、よく理解ができません。
今のところ、出生前診断を受けた人の割合は、まだ4%であるというのが救いですが(平成28年度の妊娠件数114万人=出生数976,979人+中絶件数168,015)、今の日本の状況を見ると、これも今後どうなるか分かりません。ダウン症の子どもがほぼ生まれなくなりつつあるアイスランドのような状況に至ってしまうことを、今から危惧しています。

SHOCKING Eugenics in Iceland: Nearly All Babies with Down Syndrome Aborted | CBN News

繰り返しますが、出生前診断を受けることは、間違ってはいないのでしょう。なぜなら、本人の選択のみに原因を帰せられるものではありませんから。未来ある子どもたちの親を、「命の選別」へ向かわせてしまうような社会そのものに、根本的な誤りがあるように思います。

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インフルエンザ

あろうことか、僕が我が家のインフルエンザ第一号になってしまいました!

まだ詳しくは書いていませんでしたが、二女の「ひぃ」は肺高血圧症に加え、心房中隔欠損と動脈管開存症という二つの心疾患を抱えています。そのため、誕生直後から「風邪を引いたら即入院」と医師に注意され、RSウィルスにも罹患しないように定期的にシナジスという予防注射を受けていたのです。インフルエンザもダウン症の子にとっては天敵で、僕たち家族も早々に4人全員が予防接種を済ませていました。それなのに・・・いや予防接種をしていたからこそ、油断があったのでしょうか。

体調の異変を自覚したのは火曜日の夕方。出張帰りで、のどの痛みと身体のだるさを感じたのですが、「いつもの風邪だろう」と思ってその後も普通に過ごしました。妻ものどの痛みを訴えていました。
翌日(つまり一昨日の朝)、症状はさらに悪化して、肩から後頭部にかけての痛みも出てきたので、「仕事を休みたいな」と思いながらも、熱はなかったので出勤しました。午前中、出張での仕事の遅れを取り戻すべく、仕事に精を出したのですが、体調は悪くなるばかり。正午を過ぎて当面の仕事のめどが立った時点で、早退することにしました。職場でも同じ部屋ですでに2人がインフルで休んでいたので、同僚から疑いの目を向けられたのですが、「熱は無いし予防接種も受けているから、多分大丈夫」と笑ってやり過ごしながら職場を後にしました。
帰宅してからしばらく寝室で休み、夕方に保育園から長女の「すぅ」が帰ってきた様子で目が覚めたのですが、この時点で発熱していることがはっきりと感じられ、愕然としました。体温計で測るまでもなかったのですが、一応測ってみると37.8度でした。
妻の運転で近くのかかりつけの病院に駆け込んで、受付を済ませて再度体温を測った時には、「39.2度」の表示が! 震えながらしばらく待った結果ようやく診察室に呼ばれ、医師からも「しんどいよね」と言われながら、例の細長い綿棒のようなもので鼻からの検査をされ、くしゃみを2度ほど立て続けにした後、差し出されたティッシュで鼻をかんでいるうちにもう結果が出ていました。「もう出たね。B型ですね」。確かに、机の上に置かれた検査キットの「B型」と示された窓の中に、はっきりと青い縦線が浮き出ていました。診察室を出る前に、思い出して「予防接種したんですけど・・・」と言ってみたのですが、「予防が効かなかったということですね」とあっさり。それから急いで職場の上司に電話をして、今週いっぱいは仕事に出れないことを告げました。
長女のすぅも咳が出ていたので、同時に小児科を受診したのですが、今の所はインフルではなさそうとのことで、代わりに二女のひいに予防的にタミフルが処方されました。「(すぅについては)特に心疾患がなければ様子を見てもらったらいいですよ」との医師の言葉に、ひぃを抱っこしていた妻が「あの、実はこの子が・・・」と言うと、受付をしていないのに処方してくださったのだそうです。
帰宅してから僕はイナビルという変わった吸入薬を飲み、それからはひたすら眠り続けました。約2日間、高熱と頭痛でうなされた挙句(予防接種を受けていると症状は軽いと聞いていたのに・・・)、何とか熱も下がってきて、今朝は久しぶりの風呂に入りました。タミフルを飲んでいるひぃも、妻もすぅも、今の所はインフルエンザらしき症状は出ていません。
でもまだまだ油断はできません。幼い命を守っていくべき父親として、少し自覚が足りなかったのかもしれないと、熱の下がりきっていない頭でぼんやりと考えているところです。

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きょうだいの絆

最初に少し書きましたが、うちは4歳になった長女の「すぅ」と、間もなく1歳を迎える次女の「ひぃ」の2人姉妹です。
以前に、ダウン症の子がきょうだいに与える良い影響について、ブライアン・スコトコ医師(Dr. Brian Skotko)の講演を聞いて以来、すぅの妹に対する態度を注意深く見守っています。
それを知ってか知らずか(むろん知らないでしょうが)、最近、すぅがひぃの両手をつかみ、あるいは頭を抱きかかえて、「ひぃちゃん❤️」と可愛らしく声をかけたりすることが増えてきました。ところがひぃは多くの場合、無表情のままで、目の前のすぅの髪の毛に手を伸ばして、がっしとつかんでしまうのです。
なぜかひぃは姉の髪の毛に異常な執着を示していて、彼女の頭が手の届く範囲に入った瞬間、飛んでいる虫を箸で捕まえる剣豪さながらの素早さで、黒々とした髪のひと房を指の間につかんでいるのです。ひぃの握力は思いのほか強く、僕たちでもあごに爪を立てられて悲鳴を上げることがままあります。さらに、掴んだ髪の毛を思い切り自分の方へ引き寄せるので、すぅはかなり痛いはずなのです。
それでもここから感心するのですが、そんな時でも、すぅは決して怒りません。「うーん」と顔をしかめながらも、静かに妹の魔手から頭を振りほどきます。それからはしばらくはひぃのもとは離れるのですが、その様子にいつもいじらしさを感じてしまいます。
この二人はこの先、きっと仲の良いきょうだいになるだろうと思います。

今日は、めずらしく我が家の周辺でも雪が降りました。

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一升餅のお祝い

あとひと月で、「ひぃ」は一歳の誕生日を迎えます。
年末年始に実家に帰った時、僕の母親は「また一升餅を用意しとくから」と意気込んでいました。そう言えば長女の「すぅ」の1歳の誕生日でも、同様のことをしてくれました。祝膳を前に両祖父母が見守る中で、餅の入った幼児用のリュックを無理やり背負わされて、憮然とした表情で立っている「すぅ」の写真がMacに残っています。来月がとても楽しみです。
たぶん、「ひぃ」はその時点では歩くことはもとより、自分の足で立ち上がることも難しいでしょう。1歳であれば平均体重は9キロ弱だそうですが、「ひぃ」の体重はまだ6キロ程度。仰向けになった「ひぃ」を抱っこしてあやしながら、もしかするとこの子はずっと赤ちゃんのままなんだろうか、という気になったりすることがあります。
もちろん、そんなことはなくて、本当に「ゆっくりゆっくり」ではありますが、「ひぃ」は着実に成長しています。最近では、気がつくと腹ばいの姿勢から両足を前に出して「お座り」のポーズをしていることが増えました。お風呂でも、湯船の中で手足をバタつかせて、顔がびしょ濡れになるのも物ともせずに遊ぶようになりました。寝返りが初めてできたのなんて、なぜか「すぅ」と同じ時期の5カ月の時点だったりします。ダウン症でない赤ちゃんよりも早いくらいで、医者も驚いていました。寝返りが早すぎるとうつぶせ寝も増えるので、心配な面もありましたが・・・
1歳前後はどの子どもも歩けるかどうかという時期で、一升餅を背負わせながら、「一生の重みを感じさせると言う意味合いで、立って歩いてしまう子供の場合、わざと転ばせることもある」(一升餅 - Wikipedia)のだそうですね。それはそれで「こんな時期からそんな思いをさせなくても」と、若干かわいそうな気がしないでもないですが、「ひぃ」の成長をみんなで共感しあえる機会として、こういった行事は大切にしていきたいものだと思います。

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「おめでとう」という言葉

我が家も新年が明けました。昨年は2月の「ひぃ」の誕生から始まり、本当にいろんなことのあった一年でした。このブログでも、何から書こうかいきなり迷ってしまっています。
よくあるダウン症の子育て体験ブログであれば、生まれてからの親としての受容の経過を語っていくところでしょうが、最初の1週間のことを書こうと思うと、思い出すだけで非常にエネルギーを使いそうで、正直なところためらっています。
そこで、まずは書きやすいところから、ある経験について書こうと思います。

「ひぃ」の誕生直後、僕はNICUのある病院と妻のいる産院とを、冷凍した母乳を持って行き来する毎日で、職場に復帰できたのは、誕生から10日後のことでした。
出勤してまずは総務に顔を出し、この間の礼を述べてから、総務担当の部長からこっそりと出産祝いを渡された時は、目頭が熱くなったのを覚えています。
ところが、その後の職場の同僚の態度はとても淡々としたものでした。以前に長女が誕生した時とは明らかに違う空気。出産経験のある女性から「おめでとう」と言われた時に、はじめてその違和感の正体に気がつきました。普通であれば、子どもが生まれた同僚に対して当然のように投げかけるはずのその言葉を、みんなわざと避けているような感じを受けたのです。結局、その日に会った同僚で「おめでとう」と口に出して言ってくれたのは、前述の女性だけでした。
それまで僕が病院から逐一、上司に「ひぃ」の予断を許さない状態を報告していたので、他の同僚も状況はある程度知っていたのでしょう。確かに、娘に生命の危険があるという時に、素直に「おめでとう」という言葉をかけることへのためらいは理解できます。それでも、一つの生命の誕生は素直に祝ってほしい、と心から感じました。
その時は確定診断は出ていませんでしたが、「ひぃ」にダウン症の疑いがあることもすでに職場には伝えていました。もしかすると、障害のある子どもが生まれたことが、そのためらいにつながっているのでは、とまで勘ぐってしまいました。考えたくないことですが。
実は、社内結婚である僕たち夫婦の職場は、いわゆる福祉の職場なのです。福祉の専門家だけに、色々と状況を想像してしまうのでしょうか。妻が義父にその日の職場の状況を伝えると、「一体どんな職場なのか」と憤っていたそうですが、実際、僕も少し残念な気持ちになりました。

人によって色々と状況はあるかとは思いますが、もし周囲の誰かに子どもが生まれた時は、制限なく、「おめでとう」と言ってあげたいと思います。

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